2009年06月26日

液化天然ガス(LNG、Liquefied Natural Gas)は

液化天然ガス(LNG、Liquefied Natural Gas)は、気体である天然ガスを-162℃以下に冷却して液体にしたもの。LPGと異なり常圧で液体である。体積は気体の約1/600しかない。輸送・貯蔵を目的として液化される[1]。

天然ガスは主成分であるメタンの他にもエタン、プロパン、ブタンなどのガスが含まれているが、LNGへの液化の過程でこれらのガスも同時に液化されるために、LNGも元となる天然ガスの産地によってこれら炭化水素の構成比に違いがある。LNGの液化の初期段階過程では、水和物を作ってパイプを閉塞させる炭酸ガスや、プラントを腐蝕する硫黄酸化物などの不純物が除去されるため、LNGは人体にとって無害となる[1]。

液化には「C3-MCR」「TEALARC」「PRICO」「CASCADE」の4つの方式が存在する。CASCADE では冷媒にメタン、エチレン、プロパンの純成分を個別に3段階で使用しており、他の3方式は窒素、メタン、エタン、プロパンを混合して使用している。液化プラントで使用されているのは C3-MCR 方式が多い[6]。
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輸送方法には大別して2つある。1つがパイプラインによる気体での輸送で、1930年代頃からアメリカで行われており、現在ではロシアから東欧へ、北アフリカから南欧への天然ガス輸送に使用されている。そしてもう一つがLNGタンカーによる液化天然ガスの輸送で中東や東南アジアから日本への輸送に多用されている。

LNG船の海難事故は極めて少なく、大規模なガス爆発やガス漏洩を含む環境破壊事故は一度も発生していない。

また、メタンハイドレートにして輸送する方法が開発中である。LNGに比べ温度が高くても体積を減らすことができ、輸送効率の向上が見込める。

2009年06月10日

鎮痛効果があるとして民間療法で用いられていたヤナギの

1829年初頭に、鎮痛効果があるとして民間療法で用いられていたヤナギの樹皮から初めてサリチル酸が分離された。非ステロイド性抗炎症薬は、意識抑制、呼吸抑制、依存などの容認できない副作用があるにもかかわらず、少量で鎮痛効果、大量投与で抗炎症効果がある薬物として重要なものとなった。以前は処方箋が必要であったが、現在では、イブプロフェンなどは薬局で販売される様になっている。古くはリウマチなどの重篤な疾患にのみ処方されていたが、スポーツや事故による怪我の鎮痛、腰痛や手術後の鎮痛にも処方される様になって久しい。癌や、冠動脈疾患など他の適応についての研究も続けられている。

一般医を受診する患者の25%は変形性関節症で、その半数から全ての例がNSAIDsを処方される。65歳以上の人口の80%にX線上有意な変形性関節症が存在するとされており、そのうち60%が疼痛などの症状を訴える。2001年には、アメリカでは7千万錠のNSAIDsが処方され、300億錠が薬局で販売された。
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このように大量に消費されると、副作用も多く出現する。最も多いのは胃腸炎である、軽い胃部不快感から、治療に長期間を要する、重篤な出血を伴う潰瘍までが起こりうる。また、他の副作用としては骨折の治癒を阻害する、心血管系では血小板機能を阻害し出血を止まり難くする、また、腎機能障害や、腎のプロスタグランジンを阻害し、血圧調整機能を障害する。以上の理由で、慢性心疾患、腎機能障害、血圧異常の患者にNSAIDsは慎重に使用する必要がある。NSAIDsは、身体の障害によって産生されるプロスタグランジンの合成を阻害する事により効果を発揮するが、プロスタグランジンは、炎症と疼痛をもたらすだけではなく、胃内膜などの再生に関わるなど、必要な役割もある。

NSAIDsの胃腸障害作用は用量依存性であり、多くの場合致命的となる胃穿孔や、上部消化管出血を起こす。概ねNSAIDsを処方された患者の10?20%に消化器症状が現れ、アメリカでは年間に10万人以上が入院し、1万6千500人が死亡している。また、薬剤が原因の救急患者の43%をNSAIDsが占めている。このような事の多くは、本当は避けられたとする研究結果もある。ある研究によると、NSAIDsを処方された患者の42%は、実際は不必要な処方であった

2009年06月07日

忍者(にんじゃ)とは、鎌倉時代から江戸時代

忍者(にんじゃ)とは、鎌倉時代から江戸時代の日本で、大名や領主に仕え諜報活動や暗殺を仕事としていたとされる、個人ないし集団の名称。その名は日本国内にとどまらず、世界的にもよく知られている。

領主に仕えての隠密行動を主体とする集団。武士や足軽といった身分の集団とはまた別の立場にあった。

「全身黒の衣装」「その中には鎖帷子を纏い、顔には墨を塗っている」「背中に刀」「夜陰に紛れて敵地に侵入する」という印象で描かれることが多いが、黒は夜に像が浮いて見えることから、紺色もしくは柿の熟したような色の衣装を使用していたとされる。現存する「忍び装束」とされる物も、ほとんどが柿色系統である。黒色よりも柿色の方が安価に製造できたからとする説もある。この衣装は、元々は甲賀地方(現在の滋賀県南東部)や伊賀地方(現在の三重県西部)で使われていた野良着が元とする説がある。また、「専用の」装束などは着用せず、その状況に合った服装(町中では町人の格好、屋敷などに侵入する場合には使用人の格好)を用いており、黒装束については、歌舞伎などに登場させる際に黒子のように観客に対して「見えない存在であること」を表現したものが後に、現実にもそのような格好で活動していたと誤認されたとする説もある。

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に重点を置いていたため、通常は少しでも身軽になるように重い鎖帷子は着用しない。 漫画表現として鎖帷子を簡略に描いているうちに網シャツを着たキャラクターデザインに発展した。背中に刀を背負うと動くとき邪魔になるため、大半は普通の武士のように腰に下げていた。ただし床下にもぐりこむときは狭い所でも動き易くするため、また刀自体を盾代わりとするために背負っていた。様々な特殊訓練を行い、特殊な道具なども所持しており、この道具を「忍具」、逃走術を含む種々の技術を「忍術」と言う。

2009年04月24日

ポマンダー(Pomander)

ポマンダー(Pomander)はアルコールをベースとした液体で49種類のハーブが使われている。15種のボトルが発売されており、それぞれに違う色と香りがある。これらの色や香りがオーラのうち電磁場に作用して内なる調和をもたらし元気を回復させるとされる。使用する際は、左の手のひらに三滴つけて両手をこすり合わせる。次に自分の前面、後面、側面、そして頭頂部を除いた頭からつま先まで手をかざしオーラに行き渡らせる。両手の平を頭上で合わせて顔の前に降ろし、三回の呼吸とともに香りとエネルギーが内側に流れてくるのを感じる。

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クイントエッセンス
クイントエッセンス(Quintessence)はアルコールをベースとした花のエッセンスを含む。15種のボトルが発売されており、それぞれに違う色と香りがある。複雑な香りを持ち、高次のエネルギーに働きかけるとされ、オーラの中でもエーテル体とアストラル体に作用するとされている。

使用する際は、左手首に三滴つけ、両手首をこすり合わせる。自分がクイントエッセンスの色とエネルギーに包まれるように、頭の上から足の先までかざす。額のところで両手を合わせ、三回の呼吸とともにその香りとエネルギーが内側に流れてくるのを感じる。

2009年04月22日

関東軍防疫給水部の構成

関東軍防疫給水部長
※1940年8月23日まで関東軍防疫部長
※階級は就任時
石井四郎 軍医中佐(1936年8月1日?1942年8月1日)
北野政次 軍医少将(1942年8月1日?1945年3月1日)
石井四郎 軍医中将(1945年3月1日?終戦)

防疫給水部本部(満州第731部隊)
総務部
副官室
調査課
翻訳班
印刷班
写真班
兵要地誌班
調査班
図書班
人事課
庶務課
労務班
庶務室
食堂
酒保
学校
企画課
経理課
管理課
建設班
工務班
動力班
運輸班
電話班
軍需課
第一部(部長:菊池斉/細菌研究)
第一課(チフス)
田部班(班長:田部井和/チフス研究)
第二課(コレラ)
湊班(班長:湊正男/コレラ研究)
第三課(生理・マルタ管理)
吉田班(健康診断)
宮川班(レントゲン)
在田班(レントゲン)
栗秋班(薬理)
草味班(班長:草味正夫/薬理研究)
石井班(捕虜入出管理)
蓬田班(捕虜入出管理)
志村班
特別班(特設監獄)
第四課(赤痢)
江島班(班長:江島真平/赤痢研究)
第五課(ペスト)
高橋班(班長:高橋正彦/ペスト研究)
第六課(病理)
石川班(班長:石川太刀雄丸/病理研究)
岡本班(班長:岡本耕造/病理研究)
第七課
第八課(リッケチア)
野口班(班長:野口圭一/リケッチア・ノミ研究)
第九課(水棲昆虫)
田中班(班長:田中英雄/昆虫研究)
第十課(血清)
内海班(血清研究)
小滝班(ツベルクリン)
第十一課(結核)
肥之藤班(脾脱疽)
太田班(班長:太田澄/炭疽研究)
樋渡班
降旗班(ペスト)
金沢班
貴宝院班(天然痘)
二木班(班長:二木秀雄/結核研究)
所属課不詳
笠原班(班長:笠原四郎/ウイルス研究)
吉村班(班長:吉村寿人/凍傷研究)
第二部(実施研究)
八木沢班(班長:八木沢行正/植物菌研究)
焼成班(爆弾製造)
気象班
航空班
無線班
田中班(昆虫)
篠田班(昆虫)
安達実験場
第三部(防疫給水)
庶務課
第一課(検索)
第二課(毒物検知)
第三課
濾水班
給水班
運輸班
工作班(濾水機)
濾水機・弾筒製造窯
第四部(部長:川島清 軍医少将/細菌製造)
第一課(華頂:柄沢十三夫 軍医少佐/培養生産)
野口班(ペスト・脾脱疽)
第二課
第三課(乾燥菌・ワクチン)
第四課(ワクチン)
有田班(班長:有田正義/発疹チフス・ワクチン)
植村班(瓦斯壊疽・脾脱疽)
所属課不詳
朝比奈班(班長:朝比奈正二郎/発疹チフスおよびワクチン製造)
教育部(部長:西俊英 軍医中佐/隊員教育)
庶務課
教育課
衛生兵
炊事班
診療所
錬成隊
少年隊
資材部(実験用資材)
庶務課
第一課(薬品合成)
山口班(細菌弾)
堀口班(ガラス)
第二課(購買補給)
第三課(濾水機)
第四課(倉庫)
第五課(兵器保管)
第六課(動物飼育)
診療部(付属病院)
伝染病棟
診療室
家族診療所
憲兵室
保機隊

約束の橋 チーム 赤ずきん リコニー エジンバラ さくもん コモドド モスリン べにえび エンジン オーリ センデ ジーピー シーアイ マンサク ジュエリー トニック チューナー マンデート シャン だいろ 一千一秒 大人の生活 スキーム エイハラ スラロー ロータリー ティズム シンボル オヤマ ファシリ センタ テラコッタ センシ ツール モチーフ ギョリュ モジュ 中仙道 ひわき ジャッカル ケミストリー ローズウッド トークン 一字千金 地上の星 キャップ リーフ マナスル オーソラ

支部
牡丹江支部(満州第643部隊;支部長:尾上正男 軍医少佐)
総務課
経理課
第一課
第二課
第三課
資材課
教育課
林口支部(満州第162部隊)
総務課
第一課
第二課
資材課
教育課
孫呉支部(満州第673部隊;支部長:西俊英 軍医中佐)
総務課
第一課
第二課
資材課
教育課
海拉爾支部(満州第543部隊)
総務課
第一課
第二課
資材課
教育課
大連支部(満州第319部隊)
総務部
研究部
製造部

総論
731部隊で行われたとされる各種の人体実験は、しばしばナチスドイツのユダヤ人強制収容所で行われたドイツ人医師による人体実験と並んで語られれることがある。確かに、生体実験と言う残虐な犯罪を行い、倫理的障害を選民思想によって取り除いていたという観点では両者には差はみられない。

ただ、人体実験を行った主体という観点から見ると両者には相違点が存在する。731部隊での人体実験は、BC戦術の効果的運用を目的として軍の部隊内で組織的に実施されたが、それに対してナチスの強制収容所の場合は、収容所自体はユダヤ人の根絶を唯一の目的とした施設であり、人体実験に関しては、ドイツ人医師による個人的研究という性質が強かった。 731部隊は軍組織として、効率的運用が図られ、そして、その成果は当時としては最小のタイムラグ(専用の連絡機運用は軍施設においても特別と言える)で新宿の防疫研にもたらされ、防疫研は成果をほかの実験部隊に展開するとともに、各部隊からの情報を731部隊にフィードバックしていた。石井四郎はBC戦術の研究開発システムを未曾有の規模で作り上げたのである。

当時の日本軍はこのシステムを終戦寸前の撤退戦まで支援し続けた。

なお、日本軍は、中国戦線で化学兵器の大規模な実戦投入を実施している(化学兵器は比較的扱いが容易であることからと推測されている。より高度な生物兵器に関しては実験的な実実戦投入がされたとされ、現在、被害訴訟などで真偽が論じられているが、特定伝染病の流行記録はあるが最終的な結論は出ていない)しかし、対米戦においては一度もBC戦を展開していない、沖縄戦前後に検討されたとする証言もあるが物資の貧窮した時期に実施は不可能であったと推測されている。なお、これは米軍の報復を恐れた為であるとの指摘もある。

日本の歴史修正主義者をはじめとする一部の論者は「目立った証拠が無い」として731部隊が行った人体実験等の存在自体を否定しているが、近年、ニューヨーク在住のノンフィクション作家である青木冨貴子によって石井四郎の書いた日記が発見され、それには戦後の彼の行動が克明に記録されており、戦時中の行動に関しても符丁としてだが相当量が記載されていた、研究者による分析よると、これまで調査されてきた人体実験等の内容と矛盾は見られず、裏付けとなりうるとされている。

人体実験等の存否にかかわらず、第二次大戦についての戦争賠償・補償ついては日本と被害各国との間で条約・協定等が締結、履行された事により解決し、国際法上も日本の国家責任については決着していることからこの種の訴訟は全て原告の要求は却下されている。

2009年04月05日

ボーイソプラノ

ボーイソプラノまたはボーイ・ソプラノ(米語:boy soprano、イギリス英語ではトレブルtreble)は、変声期前にソプラノの音域に恵まれた青少年男子の歌手について用いる語である。時には、変声期を過ぎても、ソプラノで歌い続けることのできる男声歌手もいなくはないが、非常に稀である。

変声期以前の短い期間の少年の高音は、その独特な音色ゆえに、欧米に限らず世界各地で、宗教音楽や世俗音楽に利用されている。

史料を拾い直してみると、古い時代においては平均的に、今より声変わりの時期が遅かった。例えばヨハン・セバスチャン・バッハは、16歳半ばまで傑出したボーイソプラノと看做されていた。しかし男子が、それぐらいの年齢で変声期を迎えずにソプラノ音域を歌うということは、今や先進国ではかなり稀なケースである。というのも先進国では変声期がより早い年齢で始まる傾向が見られるからである(おそらくその原因は栄養にあり、蛋白質やビタミンの豊富な摂取が可能になったためと見られる)。

キリスト教教会におけるボーイソプラノやボーイアルトの利用は、キリスト教以前の時代にさかのぼる。ユダヤ教の礼拝においては、聖歌の歌唱に男児が呼び出された。中世からルネサンスを経てバロックに至る声楽ポリフォニーは、歌手がすべて男声と少年であるような男声合唱の歴史において、延々と発展をとげてきたのである。

ボーイソプラノの育成 [編集]
すぐれたボーイソプラノ歌手が物珍しいのは、そのような人材をつくり出すには、多くの要因を呼び起こすことが必要だからであり、その中でもまず一番に求められなければならないのは、優れた歌唱法の理解に触れることである。ボーイソプラノ歌手は、フレーズを一様に保ってまとめ上げる方法を理解しなければならないが、この技術は覚えるのに時間がかかる。その特訓は非常に早い年齢で、しばしば7歳か8歳で始めることが必要である。博学の合唱指揮者や優れたレパートリー、熱心な親に恵まれ、優秀な合唱団や才能のある歌手に接したことのある少年でさえ、さらに別の課題に取り組まなければならない。身震いするようなプレッシャーに直面したとき、それを乗り越えられるようでなければならないのである。歌手や合唱は、事前の手配どおりに、ちょうどいい時に演奏できるようでなければならないが、もちろん幼い少年ほど大人の音楽家に依存しやすい。たとえ具合を悪したり、会場で引きつった声を出したり、練習のし過ぎで声を壊したのではないとしても、子供は合唱団や指揮者、友人や家族から受けるプレッシャーに影響されやすいものだ。

主にこういう理由から、ボーイソプラノ単独の録音は、たいへん数少ないのである。才能のある少年を探し出し、録音の契約を結び、そして録音に漕ぎ着けるまでは時間がかかる。男児が胸声を操って高音を出せるのは、ふつうは5年足らずであり、しかもオーケストラや合唱の集合や、レコーディングのスタッフは、大人にとってすら気おくれのもとである。

声変わり [編集]
思春期における少年の声変わりは、英語で "breaking of the voice" あるいは "voice breaks" 、いずれも「声のつぶれ」と言うように、突然の劇的な変化が特徴的で、少女の声変わりと区別される。少年の歌手は、思春期に近づき、そして思春期を経るにつれ、その声質は、急激に少女の声の特徴とは違ったものになってゆく。少女の声が成熟した女性の豊かな声質へと成長してゆくのに対し、少年の声は、喉頭にある喉仏の出方に左右されやすい。この変化の最終的な結果こそが、出せる声域(バス、バリトン、テノール、コントラルト、ソプラニスタないしはカウンターテノール)というわけである。だが、声変わりの時期は、独特の豊かな響きが発達する時期でもある。

トレブル [編集]
トレブルとは、記譜法で高音や最高声域を指すのに伝統的にイギリスにおいて用いられてきた語で、低音域や最低声域を示すベースの反対語である。記譜の際には中央ハ音より上を指し、トレブルの音域を表記するにはト音記号が使われる。とりわけイギリスの聖公会やカトリック教会では、ソプラノ音域を歌う少年歌手、いわゆる「ボーイソプラノ」の意味で使われる。こんにちでは、聖歌隊のソプラノ声部に少女の歌手が参加する機会も増えつつあることから、このような少女のソプラノ歌手を「ガールトレブル "girl treble" 」と言い表すようになりつつある。しかしこのような用語法への反対意見も多い。

トレブル(treble)の語源は、「トリプル」に同じく、「3倍」や「三重の」の意味を持つラテン語 "triplus" に由来し、この語は、中世の聖歌隊で最高声域を担当する歌手に使われたのが習慣化し、定着したものである。当時のポリフォニー聖歌では、テノール声部が定旋律であるグレゴリオ聖歌を歌い、対旋律すなわち第2のパートとしてディスカントゥス(こんにちのアルト声部)がそこに対置され、さらに装飾的なパートとして、こんにちで言うソプラノ音域が加えられた。つまりトレブルとは、「第3の声部」の意味だったのである。

こんにち楽器に対してトレブルを用いるのは、最高音域を出す小型のヴィオラ・ダ・ガンバを指す場合が主である。

イルカ カッション イナリー ヒンズー ケミカル ヤブラン おりあお パララ アリーナ テリア キンバ マキャベ フードル ハイファイ マイル けんち バルジ ビリティ ビスケ ボール オセロッ ロス ストップ マリン ローエン ランタナ ギブアウ キドニー コーヒー ヒヤシ ファクタ ジュレハ ショベルカ ライフ リック ドレス シーエム ガヤツリ レーン ケション ナラタ プレイ デパオク グロテ ハジャイ トリック シロシ ドット リナッ フィア


2009年03月21日

修学旅行列車

明治?昭和初期
日本における修学旅行は、1882年(明治15年)に栃木県第一中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)の生徒たちが先生に引率され、東京・上野で開かれた「第二回勧業博覧会」を見学したことが日本での「学生・生徒の集団旅行」のはじまりといわれており、1886年(明治19年)には東京高等師範学校(現・筑波大学)が「長途遠足」の名で11日間のものを実施したという記録がある。
ストアッ ソードフ こりー テレホブ ヘンジ ガーべジ ミュータント アシッド ゲリコ チェスト キャリア オープン モンゴ ストリー ビッチ シェイク モック マジャ クリアス テネリ ロム ジュエル ルブリク リムジン エナメルレ ダルフ ファウ ライト デスク ロック カクテル セシウム リカステ キンレン モンキ 花の坊 ワイン ウィキ ミゼット サイコ ステージ 黒船 ゲルマ オメガ ハリウッド ソーラー ケイン セレナイト テーラー フロップ

「修学旅行」の言葉は、翌年に長野師範学校(現・信州大学)が同様に実施したものが1887年(明治20年)4月20日発行の『大日本教育雑誌54号』に掲載された際に初めて使われたという。さらに、「修学旅行」という言葉は、公には1888年(明治21年)8月に出された「尋常師範学校設備準則」において初めて使われ、その原型は上記の「長途遠足」であった。

また、1895年(明治28年)には、東京高等師範学校尋常中等科(現・筑波大学附属中学校・高等学校)において、全校生徒が鎌倉まで徒歩で出かけて1泊2日するという行程の「修学旅行」が実施された。

その後、旧制の中等学校・高等女学校などにも広まり、昭和時代に入って旧制高等小学校の宿泊を伴う修学旅行が許可されると、1943年(昭和18年)に戦時悪化によって禁止されるまで、伊勢神宮・橿原神宮・厳島神社・金刀比羅宮といった「国家神道教育」に通じるところを中心に行われ、輸送手段がもっぱら移動には鉄道が使われたので、乗客数の多い場合は列車への車両増結も見られたといわれる。

第二次世界大戦以後 [編集]
1948年(昭和23年)8月20日に日本国有鉄道が「生徒5割引・引率教職員2割引」で学生団体の引き受けを再開したので修学旅行も事実上復活し、1950年代になると本格的に再開されていった。戦前同様、乗客数の多い場合は列車への車両増結も行われたというが、1949年(昭和24年)には日本ツーリスト(現・近畿日本ツーリスト)の斡旋により、東京?伊豆間に設定されていた週末運行の温泉観光準急列車「いでゆ」・「いこい」の使用車両が週末以外には余剰となるのを利用して、日光・京都・大阪方面に「修学旅行専用列車」も設定された。

その後、1950年(昭和25年)頃になると「修学旅行集約輸送臨時列車[2]」が登場する。これは東京?京都・大阪といった需要の多い区間に、あらかじめ修学旅行列車のダイヤを設定しておき、それにしたがって列車を運行するもので、それまでのように一々学校・地域ごとに臨時列車を仕立てるのに比べ、手間がかからず予定が組みやすいといった利点があった。
そして1958年(昭和33年)頃になると、修学旅行列車専用車両の製造が要望[3]され、翌1959年(昭和34年)に初の専用電車となる155系電車が登場し、4月20日から「ひので」・「きぼう」の運行を開始した。その後、日本国有鉄道では159系電車・167系電車・キハ58系800番台の修学旅行用車両を落成させた一方で、私鉄でも近畿日本鉄道でも1962年(昭和37年)に全車2階建車両の修学旅行用に20100系電車「あおぞら」を登場させている。

しかしながら、新幹線による修学旅行が1970年(昭和45年)に開始されると在来線での「集約臨」も急激に衰退していき、1975年(昭和50年)頃には、一部を除きほぼ消滅した。団体列車の設定自体も、昨今の少子化やバス、航空機などといった交通機関の多様化などの要因によって、少なくなっているのが現状である。車両も修学旅行専用のものはJRでは消滅し、団体列車専用車などの波動輸送対応車や余剰気味となっている車齢の高い車両[4]が使われる。しかし、修学旅行のメインルートに新規開業や電化などが数年以内に行われた区間が含まれる場合、新型車両が普通に用いられる例もある
なお現在では、近鉄では15200系「新あおぞらII[6]」が修学旅行を中心に運用されているほか、神奈川県?栃木県相互間(東海道線・南武線沿線から日光と宇都宮地区から鎌倉・箱根方面)や兵庫県南部から鳥羽方面(東海道本線・草津線経由)など一部線区では、臨時ダイヤにて毎年修学旅行列車が運行されている。

関西では2009年3月開業の阪神なんば線を活用し、姫路方面から伊勢志摩への修学旅行列車の運転も検討されている

2009年03月06日

フリゲート(英語:Frigate)

フリゲート(英語:Frigate)は、軍艦の艦種の一つ。時代により様々な任務や大きさの軍艦に対して使用された名称である。フリゲイトとも呼ばれる。

帆船時代は戦列艦よりも小型・高速・軽武装で、戦闘のほか哨戒、護衛などの任務に使用された船をフリゲートと称した。現代では、対潜・対空作戦能力を有し、揚陸部隊、補給部隊、商船団等の護衛を任務とする艦をいう。しかしながら、フリゲートとして知られる多くの艦とその上のクラスである駆逐艦や巡洋艦等との区別はその時代、戦場での役割、保有する国家の用法によって異なっている。

「フリゲート」という言葉があまり一般的でない日本では「艦」を付してフリゲート艦と呼ばれることも多いが、厳密には誤用であり、「フリゲート」のみで一つの艦種を表す。しかし「フリゲート艦」も慣用的に用いられることが多い。

「フリゲート」の語源となったのは、「フレガータ」(fregata)と呼ばれる小型のガレー船である。フレガータは地中海で文書の伝達用などに用いられた。17世紀のイギリスでは、この「フレガータ」をもとにした小型高速の軍艦が登場し、「フリゲート」と呼ばれた(大航海時代は、主に王室直属の船であった)。

18世紀半ばには、新しいタイプのフリゲートが、イギリスやフランスで現れる。近代帆船の等級艦のうち、5、6等級艦にあたる小型艦である。勅任艦長が指揮を執る。主な任務は、哨戒、連絡、通商破壊。戦列を組むような大きな海戦では、戦列艦の補助を主に行った。初期のフリゲートでは、砲数は28 - 36門で砲列甲板は単層であった。1790年代後期に設立されたアメリカ海軍の主力は砲数44門の新型フリゲート(Super-frigate)で、やがて米英戦争が勃発するとその高火力と頑丈さが確認され、砲数38門かそれ以下のフリゲートしか保有していないイギリス海軍は優勢状況以外での交戦を禁じた。スーパーフリゲートへ対抗するように大型・重装備化が進み、砲数44 - 56門、二層の砲列甲板を備えたものが登場するようになった。

大砲の発達により、多数の砲を並べた戦列艦は、防御に致命的な欠陥をさらす事になる。そこでフリゲートに装甲を施す事により、新たに「装甲艦」が登場する。装甲艦は徐々に大型化していき、中にはかつての戦列艦を超える大型艦も現れ、戦艦および装甲巡洋艦へと発展していく。その一方で装甲防御を施さず、装甲艦の補助に回ったフリゲートは「巡航船 "cruising-ships"」と呼ばれるようになり、それは「巡洋艦」となった。フリゲートという艦種が復活するのは第二次世界大戦の時期になってからである。

第二次世界大戦までのフリゲート

オーストラリア海軍のリバー級フリゲート1930年代後半、ドイツの通商破壊の脅威を懸念したイギリスは、速力は低いが大きな航続力を持った船団護衛艦を多数装備してUボートを初めとするドイツの通商破壊部隊に対抗しようとした。この目的のために建造された艦がコルベット(Corvette)(フラワー級、キャッスル級等)である。コルベットは民間の造船所でも建造できるような大きさと構造を持ち、大量建造に適していたが、船型が過小で外洋での活動に支障があったため、コルベットの主機を2セット装備したより大型高速のタイプが計画された。これがフリゲート(リバー級、ベイ級等)である(計画の経緯から当初は2軸コルベットと称した)。コルベット、フリゲートはいずれも帆走軍艦時代の艦種名で、船団護衛艦を意味しないが、従来無かった任務の艦を作るにあたり、昔の呼称を復活させたものである。同種の任務を持つ艦としては護衛駆逐艦(Escort Destroyer/Desroyer Escort)があるが、それが艦隊駆逐艦の主任務を護衛に振り替えたものであるのに対して、フリゲートは当初から船団護衛を主任務とし、それに適する構造・性能を追求した点に相違がある。

アメリカ合衆国は、イギリス向けのレンドリースとして多数のフリゲートを建造する一方、自国向けにも建造し、タコマ級哨戒フリゲート(Patrol Frigate)として運用した。またその他に、カリブ海やアメリカ東海岸に出没したUボート対策としてイギリスからコルベットを逆レンドリースし、また少数を建造して運用した。タコマ級哨戒フリゲートは戦後、18隻が海上自衛隊に貸与されている。

旧・日本海軍については、大戦末期に大量建造された船団護衛用の海防艦がフリゲートに相当する。船団護衛の際に、司令艦となる甲型・乙型、司令艦の指揮下で護衛任務にあたる丙型・丁型があった。

現代のフリゲート(第二次世界大戦後)

タコマ級フリゲート
イギリス海軍 23型フリゲート
フランス海軍 ラファイエット級フリゲート
アメリカ海軍 オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート
クリヴァークI級 フリゲート第二次世界大戦で船団護衛や対潜戦闘の主力として大量に生産された駆逐艦より小型・低速の艦が、戦後、イギリスに倣って「フリゲート」の名称で呼ばれるようになる。

やがてフリゲートは大型化・高速化していき、かつての駆逐艦と同程度ないし上回るほどにまで発展した。一方で駆逐艦も大型化していき、かつての軽巡洋艦を上回るサイズにまで拡大した。

戦後の潜水艦技術の発達にともなって、それに対抗する対潜作戦を担うフリゲートの価値も大きく上昇した事。そして駆逐艦ですら大型、かつ高価な艦となった現在では、多くの国で水上戦力の主役の座を占めている。ただし中小国ではフリゲートすら高価に過ぎ、コルベット以下のクラスが主力になっている場合も多い。

フリゲートは一般的には駆逐艦より小型のものを指すが、上述の通り大型化して旧式で現役の駆逐艦すら上回ってしまった。また戦後の一時期は駆逐艦以上の艦がミサイルを搭載し、ミサイル未搭載のフリゲートとの区分とみなされていた頃もあったが、、現代ではフリゲートもミサイルを搭載し、駆逐艦との区別は次第に曖昧になってきている。フリゲートという艦種の明確な定義はなく、各国が独自に分類しているのが実情である。

海上自衛隊
海上自衛隊の護衛艦を艦種記号で見ると大型水上艦には駆逐艦を意味するDD/DDG/DDHを使用し、基準排水量2,000トン以下の水上艦には護衛駆逐艦を意味するDEを使用しており、フリゲートとは称していないが、創設期のアメリカからの貸与艦の一部として、艦種記号PFを使用するタコマ級哨戒フリゲートを運用していたことがある。

イギリス海軍
イギリス海軍では艦隊防空ミサイルを搭載して艦隊の護衛に当たる水上艦を駆逐艦(ミサイル駆逐艦)に分類し、それ以外の護衛艦をフリゲートと分類している。そのため駆逐艦より大きいフリゲートも存在する。

フランス海軍
フランス海軍は駆逐艦という艦種を使用せず、大型の水上戦闘艦を全てフリゲートとしているが、艦種記号はNATO海軍の分類に従って駆逐艦級のDとフリゲート級のFに区分している(Dに分類されているクラスは、外国語訳に当たっては駆逐艦とされる)。

アメリカ海軍
アメリカ海軍は第二次世界大戦中に哨戒フリゲートを運用したが、その系列は戦後に続くことは無かった。アメリカでは、船団護衛用として護衛駆逐艦の流れを汲む艦を航洋護衛艦(Ocean Escort;艦種記号はDEのまま。1軸推進であることが特徴)として装備し、フリゲートの名前は巡洋艦と駆逐艦の中間の大きさの艦に与えていた。この時期のフリゲートの艦種記号はDLで、これは「Destroyer Leader(嚮導駆逐艦)」の頭文字である。

1975年に至り、アメリカも他国との共通化を図ることになった。従来のフリゲートのうち大型の艦は巡洋艦に、小型の艦は駆逐艦に分類し、従来の航洋護衛艦をフリゲートと改め、艦種記号も新たにFF/FFGを与えた。オリバー・ハザード・ペリー級は計画当初は哨戒フリゲートの復活として考えられ、艦種記号もPFとされていたが、この分類変更によって、ミサイルフリゲート(FFG)として建造されることになったものである。アメリカでは本級以降はフリゲートの建造を行っておらず、これから先も行う計画はないためFF/FFGの艦種記号は消滅することになると思われる。
アビランド ケイソ グズア 月の宿 トラム 太鼓判 バロイ ガリウム ジョーカー スーパー プチブ ダムウェ フット チルドレン シーズン ポインセ キッチン メンチ ナラティブ 河童大王 アービト キャリア カララー ダブルシン ガッツ カフス ビジョン デバイ マスゲ シェード ナル 華麗 プロジェト スタート スタンド ハノー リアリ スヌーピ アオザイ フォトメ ビンバ シネコン スローガン ライン センナ ハイマツ アコード フォカマイ スコア ケブキ

アメリカ海軍ではフリゲートに替わる小型艦として沿岸海域での作戦能力を重視した浅喫水の沿海域戦闘艦(LCS:Littoral Combat Ship)と呼ばれる艦を計画しているが、これの艦種記号はLCSになるとしている。

ソ連・ロシア海軍
ロシア帝国海軍は伝統的なフリゲートや装甲フリゲートを保有していたが、その末期には通報艦などに類別して運用しており、それら艦艇を継承した赤色海軍・ソ連海軍では設立以来フリゲートという艦種が存在したことはなかった。これに対し、西側諸国ではソ連海軍の警備艦や小型対潜艦など、および国境軍の国境警備艦の一部をその艦の規模からフリゲートに分類した。しかし、その分類は一定しておらず、例えば1135型警備艦は「クリヴァク級フリゲート」と呼ばれる一方、「クリヴァク級駆逐艦」と呼ばれることもあった。また、「グリシャ級コルベット」と呼ばれることの多い1124型小型対潜艦も「グリシャ級フリゲート」あるいは「グリシャ級軽フリゲート」と呼ばれることもあった。

ソ連崩壊後、近代化を図るロシア海軍ではそれまでの用途別艦種を一元化する多用途艦としてフリゲートや駆逐艦の建造計画を開始している。そのため、現在および今後建造される艦艇には正式にフリゲートの類別を持つものが登場する。

その一方で、冷戦終結後はソ連海軍の実態も情報公開が進み警備艦や小型対潜艦といったソ連独自の類別もよく知られるところとなっているにも拘ず、西側諸国では依然としてそうした艦艇をフリゲートと呼び習わす習慣が残っている。そのため、西側諸国ではロシアで新たに建造している制式分類のフリゲートと西側でいうところの通称のフリゲートとが混同されている場合がある。

2009年02月14日

Bless 〜close your eyes, open your mind.〜

主人公は、昼は喫茶店「ラ・パルティータ」でアルバイト、夜はサイト「Masquerade」でチャットをしながら、選択肢によってメインヒロインのシナリオに入る。ゲーム期間は12月の1ヶ月で、主なエンディングはメインヒロイン5名+サブヒロイン1名の6つ、バッドエンド1つ、個別シナリオにおけるバッドエンド4つの計11である。

BasiLのデビュー作であり、後に人気原画家となる西又葵、鈴平ひろのデビュー作でもある。ただし、鈴平ひろは本作でBasiLを離脱し、本作の取扱説明書に載っていたスタッフコメントには一言も寄せていない。またエンディングにおけるスタッフクレジットでもゲストを除いた最後という扱いである。

発売時は皐ルートの途中でプログラムが動かなくなる等のバグがあったため、修正ファイルを組み込む必要がある。
ヤーダ ひまわり ヘンチック ロミア シロタ イングラ カフジ はばたけ チンナカ テライト オーツ インチ ウバナ ミクロン スカウト ドットコム ティアラ きょうせい ニードル シュート ヒュー パート フラッ バタフライ メイド ケミカ 大葉春菊 一寸法師 ポリス ギアナ ニガナ リルフール フィック バネー ビー玉流し ダンディ インプット らんぐい ムール ものう ユニーク ムベ ジップア のぎつね ロッテル モヘンジ ハウス タンドー ブロージ リグニン

GameDiskには壁紙が3枚(観月華蓮、佐倉雪乃、比奈山皐)入っている。

タイトル名は、ゲーム、パッケージ等は全て大文字で表記されているが、ここではオープニングのタイトル紹介で出てきた小文字の表記を用いてる。

主人公(仲原秀晃)は10年前、両親の転勤により緑王町を離れた。いつも彼の後ろを追ってきた少女が引っ越し時の別れ際に見せた悲しい表情を、秀晃はいつまで経っても忘れられず、少女の泣いている夢を頻繁に見るようになった。

秀晃は少女が見せた悲しい表情は、自分に助けを求めるものだったことに気付く。名前も顔も思い出せないその少女を助けるために、秀晃は高校卒業後、緑王町に戻った。

巨大なLANの実験都市と生まれ変わった緑王町。秀晃は友人の薦めでいくつかの出会い系チャットを巡ったが情報は得られず、彼女の名前も居場所もわからずに、時間ばかりが過ぎていく。

それから1年後、友人は新しいチャット「Masquerade」を教えてくれた。秀晃は4つ目となるチャット、「Masquerade」で会員達と会話を続けながら、その少女の情報を求める。秀晃はその少女を見つけることができるのか。それとも新しい出会いが待ち受けているのか。

仲原 秀晃(なかはら ひであき)
本作の主人公。20歳のフリーター。1年半前の高校卒業後、幼馴染みの少女を捜すために生まれ育った緑王町へ戻ってくる。ゲーム開始日より、1年前から常連だった喫茶店「ラ・パルティータ」でアルバイトをする。「Masquerade」におけるハンドルは「探索者」。
観月 華蓮(みづき かれん)
誕生日:8月3日。身長:160cm。スリーサイズ:B85/W58/H86。血液型A型。
秀晃が働く喫茶店「ラ・パルティータ」の先輩ウェイトレス。栗毛長髪、可愛い容姿の看板娘。一人暮らし。「華蓮イヤーは地獄耳」というあだ名をマスターが付けるほどの地獄耳。他にも身持ちの堅さから「鉄壁の華蓮」、「ラ・パルティータの闘牛」などの異名がある。パッケージのカットは彼女。
佐倉 雪乃(さくら ゆきの)
誕生日:9月23日。身長:158cm。スリーサイズ:B88/W57/H87。血液型O型。
大手メーカー佐倉グループの社長令嬢。普段は水色の長髪を左右で縛っている。学校には通っておらず、外出もしない清楚なお嬢様。人付き合いが苦手。いつも微笑みを浮かべている。
比奈山 皐(ひなやま さつき)
誕生日:10月10日。身長:156cm。スリーサイズ:B82/W57/H84。血液型A型。
赤髪で、チロリと舌を出す姿が可愛い学生。秀晃との初対面が、冬の公園のベンチで昼寝をしている姿という昼寝好き。実はトップアイドル咲月ひな (さつきひな)でもある。
伊藤 彩音(いとう あやね)
誕生日:12月27日。身長:168cm。スリーサイズ:B89/W60/H89。血液型O型。
業界でもトップクラスである予備校の教師。眼鏡姿の知的美人で巨乳。酒癖が悪く、酔うと攻撃的になる。秀晃が飲み会から帰る途中、いきなり体当たりを食らわせたのが、二人の出会いである。彼女のシナリオは、他のヒロインと比べてボリュームがかなり少ない。また彼女に限り、個別のバッドエンドが存在しない。
矢野原 まきえ(やのはら まきえ)
誕生日:5月7日。身長:159cm。スリーサイズ:B83/W59/H85。血液型A型。
佐倉家のメイドで雪乃の幼なじみ。エメラルドグリーンの髪を肩のところでそろえた、常に前向きな性格の少女。家の事情で、学校へは通っていない。いじめられたりするとネコ化する。彼女のシナリオは、雪乃シナリオをクリアしないと、分岐が発生しない。

『21-Two One-』の販促ディスクに掲載されたショートストーリー「210 -Two One Zero-」に、ワンカットだけ登場する。

サブキャラクター
坂本 レナ(さかもと れな)
周りの空気を読まない不思議少女。自分勝手な思考しかしない。「Masquerade」で一定の条件を満たすと、彼女に会うことができる。攻略可能で、彼女のエンディングもあるのだが、どちらかといえばバッドエンドに近い。
佐倉 智津子(さくら ちづこ)
雪乃の姉。大学生で彼氏いない歴21年。「ラ・パルティータ」の常連客で、華蓮と並んで、「ラ・パルティータの双璧」と呼ばれている。立ち絵のあるキャラクターで、彼女のみHシーンがない。
伊丹 奈々子(いたみ ななこ)
彩音の大学時代における友人の妹である学生。髪はサイドを三つ編みにしている。彩音に憧れており、彩音のような教育者になりたいと日々努力している。彩音に会うために、緑王町へ来た。
マスター
秀晃、華蓮が働く喫茶店のマスター。本名は出てこない。既婚。立ち絵はないが、単なる遊び人のような風貌らしい。抜け目のない性格で、秀晃の遅刻をかけて、バイト連中と昼飯を賭けることがある。
真聡(まさと)
謎のスカートめくり少年。BasiL 、Navel、Limeにおける全ての作品で登場する常連端役だが、本作が初登場である。彼に捲られる女性の下着(パンツ)はいつも縞々模様のものである。今回、被害に遭うのは華蓮。

2009年01月28日

鴨緑江会戦(おうりょっこうかいせん)

鴨緑江会戦(おうりょっこうかいせん)は日本陸軍第一軍が鴨緑江を渡河して満州へ向かう途中で、これを阻止せんと待機していたロシア陸軍との間で起こった一連の戦い。

ロシア軍兵士が日本軍兵士よりも優秀であると過信して兵力を分散配置したザスリッチ将軍に対して日本陸軍は十分な火砲を持って攻撃し、損害を与えた。また、ロシア陸軍が全軍を用いての決戦を避け早期に退却を行ったため、日本陸軍は渡河をたいした損害なく完了することができた。

旅順港閉塞作戦(りょじゅんこうへいそくさくせん)は、1904年(明治37年)2月からの日露戦争において朝鮮半島をめぐり日露関係が悪化すると、日本では対露戦争を想定して作戦計画が考えられるが、日本は陸軍に対する補給を海上輸送に頼らなければならない事情にあった。また世界最強と謳われたバルチック艦隊と旅順艦隊(太平洋艦隊)が合同した場合には、帝国海軍が不利であると判断した。

秋山真之はアメリカ合衆国へ留学して兵学研究を行い、観戦武官として米西戦争におけるサンチャゴ閉塞作戦を見学し、海上戦力の理論的研究を行っていた。彼は封鎖にはリスクが大きいと考えていたが、二等戦艦「鎮遠」を用いて湾口を閉鎖する作戦を計画し、有馬良橘中佐は機密で旅順の実地調査を行って封鎖作戦を研究し、1903年にバラストを満載した古い艦船を港に沈め、幅273メートルの旅順港の入り口を閉塞する作戦を軍令部に対して提出していた。連合艦隊司令部が発足すると、作戦計画である「機密第120号」が発せられる。開戦当初の作戦計画では、海軍は旅順、仁川のロシア艦隊の撃破と、陸軍への支援が任務とされ、連合艦隊司令長官の東郷平八郎や島村速雄は閉塞作戦を見送った。

連合艦隊は第一次・第二次の旅順艦隊攻撃を行い、湾外に出ての戦闘を回避して安全な湾内に留まる旅順艦隊に対し、水雷艇での奇襲や湾口への機雷の敷設を行うが、沿岸砲台で防備された旅順港内の艦隊には決定的打撃は与えられずにいた。

経過
閉塞作戦は三次に渡って実行された。

第一次閉塞作戦は、2月24日未明に実施された。5隻の老朽船と77名の志願兵を集めて決行したが、旅順のロシア軍が閉塞部隊に激しい砲撃を浴びせたため、作戦は失敗した。

ロシア側では3月に太平洋艦隊の司令長官がスタルクからマカロフ中将に代わり、マカロフは部隊の組織的改革と湾内警備の強化、日本海軍の航路を研究しての機雷敷設を行い、打撃を与えた。マカロフが4月13日に戦死すると、旅順艦隊は再び湾内に逼塞する態勢を取った。

第二次閉塞作戦は、3月27日未明に決行された。4隻の閉塞船を投入して実行されたが、ロシア側に察知されて失敗した。この作戦においては、閉塞船福井丸を指揮した広瀬武夫少佐(のち特進で中佐)が戦死した。彼は日露戦争後に日本において軍神と呼ばれた。
ドリーム ミリバ すぐき菜 ちそう パンプ ハーフ カバー しゃるどね リニュ バイオ カリソウ ノータック キシャー スモー スンドゥ ずっき じゅんか チンチラ ブタジ カーネ ロゴ チェック アクシオン ロメン 銀色の雨 マスタ ミーゴー パエリ きんあか ディン ワスプ ハロー ジスト パレード たーつぁい オテコ オープン たまりん ジャグ メラノ カーコン ツガWEB アプリ オービタル ハーフ ナビ夕立 エスアイ つくし プレイシ ハイブ

第三次閉塞作戦は、5月2日夜に実施された。しかし天候不順と陸上砲台からの迎撃で中止された。

その後
ロシア側ではウラジオストク巡洋艦隊を派遣させ、バルチック艦隊の回航を決定する。日本は陸軍に対して旅順攻略を要請し、乃木希典を司令長官とする第三軍を編成して旅順攻囲戦を行い、203高地を確保して湾内の旅順艦隊を砲撃し、旅順艦隊を壊滅させた。

閉塞船
第一次閉塞作戦
天津丸:有馬良橘中佐 他16名
報国丸:広瀬武夫少佐 他15名
仁川丸:斎藤七五郎大尉 他15名
武揚丸:正木義太大尉 他13名
武州丸:島崎保三中尉 他13名

第二次閉塞作戦
千代丸:有馬良橘中佐 他16名
福井丸:広瀬武夫少佐 他16名
弥彦丸:森初次中尉 他14名
米山丸:正木義太大尉 他14名

第三次閉塞作戦
新発田丸:遠矢勇之助大尉 他24名
小倉丸:福田昌輝少佐 他20名
朝顔丸:向菊太郎少佐 他17名
三河丸:匝瑳胤次少佐 他17名
遠江丸:本田親民少佐 他17名
釜山丸:大角岑生大尉 他17名
江戸丸:高柳直夫少佐 他17名
長門丸:田中銃郎少佐 他21名
小樽丸:野村勉少佐 他16名
佐倉丸:白石葭江少佐 他19名
相模丸:湯浅竹次郎少佐 他25名
愛国丸:犬塚太郎大尉 他23名